1月生れ
眞保一厩務員(1日) 丹藤正敏厩務員(1日) 成田恭悦厩務員(2日) 森大輔厩務員(2日)
秋山直之厩務員(5日) 関根寿昭厩務員(5日) 奥山光夫厩務員(6日) 大河内瑛厩務員(7日)
佐藤剛厩務員(7日) 酒井忍騎手(8日) 山野勝也騎手(9日) 大竹慶一厩務員(9日)
鶴茂伸厩務員(9日) 武山智行厩務員(9日) 道添健一厩務員(11日) 長谷川三郎調教師(12日)
馬場正裕厩務員(13日) 熊谷秀剛厩務員(14日) 岡本展幸厩務員(15日) 根岸勇吉厩務員(15日)
大迫祐平厩務員(18日) 佐藤稚通厩務員(18日) 松岡慶見厩務員(20日) 三橋三吉調教師(22日)
岩本幸男厩務員(22日) 三浦和実厩務員(24日) 福井英学調教師補佐(29日) 中地健夫厩務員(29日)
根岸由司厩務員(30日) 大里一之厩務員(31日) 島崎博厩務員(31日)
                       
 質実剛健、コワモテの職人集団のイメージがある内田勝義厩舎。しかし実際には平均年齢20代後半!意外や意外!若いスタッフが多いのだ。今月はバースデーを迎える2人の厩務員さんを紹介します

 *** 佐藤 剛 厩務員<内田勝義厩舎> ***

 実は小向には「さとう・つよし」が数名存在する。同姓同名の中で恐らく最年少なのが内田厩舎の佐藤剛厩務員、1980年1月7日、神奈川県相模原市生まれの年男だ。
高校時代の友人に競馬ファンがいて誘われるがままに東京競馬場へ。そこで初めて競馬を見て一気に惹きこまれてしまった。1995年10月29日『第112回天皇賞・秋』、このレースこそが佐藤厩務員の人生を決定付けたレース、鞍上は小島太騎手、勝ったのは言わずもがなサクラチトセオーである。
迷わず進路を馬の世界に絞って自ら雑誌の求人広告を頼りに単身北海道へ、卒業後はマルゼンスキーを産んだ早来の橋本牧場へ単身飛んだ。実は動物が苦手だった佐藤厩務員、犬や猫でさえ触れなかったという。しかし不思議と馬に対しては平気だったそうだ。
「初めは戸惑ったけれどすぐ慣れました」色白で線の細い印象だから北海道での牧場での苦労も多かったろうと訊ねてみれば「同年代のスタッフも多かったし楽しかった」と言うから人は見掛けによらないものだ。
目標の一つにしていた「ナリタブライアン産駒を手がけてみたい」という夢を去年叶え
新たな目標に「中央遠征」を挙げた。馬に携わる時に気をつけていることは「牧場で教わった基本を忠実に」と話す。好きな女性のタイプは「優しくて静かな人。なかなかいないですよ・・・。」若くてキャピキャピしているのは苦手だそうだからじゃあ年上なんてどお?と水を向けたらちょっと間があってから「いいかもしれない」とはにかんだ。誕生日当日は厩舎の仲間と居酒屋でお祝いしたそうだ。


 ***** 岡本 展幸 厩務員<内田勝義厩舎> *****

 1978年1月15日、島根県益田市で生まれた岡本厩務員。地元で自動車整備の仕事をしていた頃、週末には足繁く益田競馬場に通っていたそうだ。今は無き益田競馬場の馬券の種類は6枠連単のみ、「それでも全然当たんないの!」でも不思議と競馬場へ足が向いた。ある日のこと、職安へ行くと厩舎の求人募集が出ていた。そして御神本厩舎に入った。そこには躊躇もなければ衝撃とか感動とかもなかった。ただ自然に「厩舎で働くこと」になったわけだ。本人はその経緯を「いやぁ、なんとなく」と言うがいかに益田競馬場が地元に溶け込んでいたかが偲ばれる。厩務員として2年が過ぎた頃、突如として益田競馬廃止の話が持ち上がりあっと言う間に競馬は開催中止となり馬も人も行き場を失った。「もうあっと言う間。でも不安は無かったね。馬以外の仕事に就く気もなかったし、もう馬をやれるならどこでも行こうと決めてたから。」馬を辞める気はさらさらなかったし迷いもなかったから全てを御神本調教師に任せた。実際に再就職に関して終始先生が面倒をみてくれた。廃止後2ヶ月経った2002年10月から内田厩舎の所属。今後の目標を聞いたら「交流レース(デビューノオドリコで)は勝ったから今度は重賞を勝ちたいね」現在の担当はジャンボハスラー(牡4)、トウヨウムスメ(牝4)、タイガードライバー(牡4)の3頭。好きなのは「短足でズングリむっくり、ジャンボハスラーみたいな馬かな?分かり易く言うとグラスワンダーみたいな馬。」気をつけている事は馬の体重管理。ちなみに好きな女性のタイプは「エンクミ」こと遠藤久美子、苦手なものは「辛い物」。辛いモノを食べると必ず具合が悪くなる。つい先日も宅配ピザを食べて体調を崩したそうだ。今年のお誕生日当日は厩舎の仲間たちと近所の回転寿司へ、もしかして・・・岡本厩務員は「サビ抜き」だったのかな?
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