
8月生れ |
拜原靖之騎手(3日) |
河津裕昭調教師(6日) |
河崎和博厩務員(6日) |
三宅章裕厩務員(7日) |
山林堂信彦騎手(10日) |
鈴木長松厩務員(11日) |
田島寿一調教師(14日) |
伊藤剛厩務員(20日) |
斉藤武夫厩務員(20日) |
小竹清一厩務員(22日) |
佐藤伸一厩務員(22日) |
田辺陽一調教師(25日) |
加藤誠一厩務員(25日) |
古澤清英厩務員(30日) |
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☆鈴木長松 厩務員 <鬼沢裕充 厩舎>☆ |
2004年7月20日、川崎競馬は終日中波乱のレースが続いた。この日の第2レースの勝ち馬、セキノカガヤキ(牡2)も10番人気を跳ね返しての単勝万馬券の大金星!担当の鈴木長松厩務員、川崎に来て僅か一ヵ月半での初勝利に満面の笑みだ。
地方競馬の存続問題は安易な廃止問題へ変化してきたように思える。
鈴木さんのいた『かみのやま競馬』も昨年あっけなく幕を閉じた。
「ウワサはもう、5年くらいあったよ。でもやめるって聞いたのは・・・年末が最後だったんだけど、11月くらいだったね。こんなもんかな?というほど突然だった。来年度の調教師免許の更新もしていたくらいだから。」87年の初出走以来16年間調教師として、更にさかのぼれば助手としての20年、7年間の騎手生活をかみのやまで過ごしてきた鈴木さんは15頭の預託馬と2名の厩務員さん達の行き先を決めて自身は船橋で馬を続けることにした。そして5ヵ月後に川崎へ。
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セキノカガヤキ |
山形県出身。大井でも厩務員だったことのある父親の影響で自然と馬に跨るようになった。中学3年時、名古屋の岩田厩舎で下乗りとなったがホームシックが原因で一旦山形に戻った後、次は新潟で厩務員として働いた。しばらくして山形に移り2年が経った頃、騎手試験を受けて騎手となった。「当時山形は騎手が少なかったの。でも見てていいなあと思ってなったはいいけど、こっちは厩務員してから騎手になった身体、とにかく減量が辛くて辛くて、馬に乗って、こう、2つ耳があるでしょう?その真中にどんぶり飯が見えるような感じで、集中出来なかったねぇ(笑)」騎手服は『黄色・赤山形』そう、佐々木竹見元騎手と逆の色目。「騎手・厩務員・調教師と経験してきて一番難しいのはやっぱり調教師だね。人を雇う責任、馬主さんとの付き合い、全部だからね。でも重賞をとった時は嬉しかったよ。」3歳優駿の勝ち馬・ミヤカズエースやアラブのトミノスカレー、ノースフライトの兄・ビップフライトなどの馬名が飛び出した。「山形は南関東や中央で一度終わった馬が活躍する場所だった。色々と問題を抱えてる馬を立て直すのはやりがいのある仕事だったよ。」いぶし銀の魅力で思わず「長さん」と呼びたくなる。その長さん、11日で57歳、川崎で最年長の「赤帽」(調教厩務員)でもある。若さの秘訣は適量の楽しいお酒とプロ級のカラオケらしい。
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2004年8月号 |