◆◇HAPPY BIRTHDAY 10月生まれ◇◆
大野秀人厩務員(2日) 稲垣純緒調教師(3日) 津久井淳厩務員(4日)
本田博文厩務員(7日) 西田秀男厩務員(9日) 鈴木義久厩務員(10日)
滝沢茂厩務員(10日) 原喜久夫厩務員(10日) 長谷川蓮太郎調教師(14日)
前住和寿騎手(15日) 井上英治厩務員(16日) 佐藤政光厩務員(19日)
三浦邦男厩務員(19日) 原三男調教師(24日) 尾上慶久厩務員(24日)
中野五男調教師(25日) 澤藤茂太郎厩務員(25日) 柴田秋生厩務員(28日)
伊東康正厩務員(30日) 山元義伴厩務員(30日) 加藤正臣厩務員(31日)


三浦邦男 厩務員 (今井輝和厩舎)

競馬の世界に定年はない。三浦邦男厩務員は10月19日で72歳になる。
群馬で百姓をしながら競走馬も持っていたという父の影響で、16歳の時に高崎で厩務員になった。
 4人兄弟の一番下だった三浦厩務員。一番上の姉が川崎で調教師兼騎手をしていた今井輝平調教師のところに嫁いだ関係もあり、20歳の時に川崎にやってきた。
 当時の小向の話を聞くと、厩務員住宅もなく、馬房の上に板を敷いたところで寝泊りしていたという。トイレは厩舎の横にある調教師の家で借り、食事は調教師の奥さんが作ってくれ、30分歩いて銭湯へ通っていたという。
 今は塀に囲まれている小向も、塀はなく、大きな池が広がっていた。運動場では米が作られていた。蹄の悪い馬には、自分で編んだワラジを履かせ、当時は蹄油(蹄の乾燥やヒビ割れをふせぐために塗るもの)もなかったので料理で使う油を使っていた。もちろん今とは与える飼料も違い、ドジョウを与えていたこともあったそうだ。ササ針の代わりに、ヒルをくっつけて悪い血を出していた。洗い場の蛇口をひねっても、もちろんお湯なんて出てこない。ドラム缶に水を入れて下から火をつけて焚いていた。三浦厩務員はしきりに「今とは全然違って・・・」という言葉をおりまぜて話してくれた。
 長い厩務員歴の中では色んな馬を見てきた。骨折をして球節(蹄の上の丸い部分)が地面にくっついてしまった馬もいた。4連勝したあとの出来事だった。その後8ヶ月休養して、復帰して5連勝を飾った。種子骨じゃなかったのが幸いだったというが、夏場だったということもあり、傷口にはウジ虫がわいていたという。

 現在担当しているのはハイアーザスカイ。前走の浦和では、装鞍所で音にビックリしてしまったそうだが、力はある馬なので期待していると話してくれた。
休みの日は釣りに行くそう。多摩川では鯉や鮒、ウナギが釣れるらしい。パチンコや競輪も好きだし、後楽園、神宮、横浜スタジアムなど、行ける範囲の球場に足を運ぶほどの巨人ファン。
 長い厩務員歴だが、馬を叱ったことはない。「馬は人を見るからね。こっちが優しく接すると馬もおっとりするよ。この仕事をやめたいと思ったことは一度もない。おもしろいからね。」と、馬に対する愛情はたっぷり。「馬とは俺の命だよ。」こんな言葉をサラッと言ってのけるところがカッコイイ。それが72歳という年齢を感じさせない若さなのだと思った。

2005年10月号
ホームに戻る