川崎競馬開設と共に歴史を刻んできた名物がひっそりと姿を消した――。
川崎競馬場周辺の住宅街を歩くと突如としてあらわれる馬の姿。そこには厩舎が置かれ、川崎競馬の「外厩」として調教師や騎手、厩務員の生活の場としても存在していた。マンションと居並ぶ木造厩舎は異空間でありタイムトリップしたかのような風情があったものだ。朝の調教は馬を引いてアスファルトを歩き、車が行き交う道路を横切るようにして競馬場に向かう。古くは数厩舎あったというが、近年は岩本亀五郎、長谷川蓮太郎の2厩舎のみとなり、昨年5月に岩本厩舎が解散してからは長谷川蓮太郎厩舎だけが外厩として残っていた。
川崎競馬は昭和25年の1月に始まったが、前身にあたる戸塚競馬とは約10ヶ月の間、平行して開催されていたこともあって、競馬場付近の個人の所有地に厩舎を建て、そこから競馬に向かうこともあった。厩舎を一つの地区にまとめて管理しようとする考え方のなかったおおらかな時代のなごりである。
全盛期には小向の厩舎群で開業する調教師は74名いた。馬房不足は窮地にあり、それを補うかたちで外厩が認められてきた。ところが、もっか川崎所属の調教師は47という現状。警備員の配置や馬場の整備などかかる経費も多く、外厩はその役割を終える日を迎えたのである。12月4日には長谷川蓮太郎厩舎が小向仲野町にある厩舎群へ移動して、すでにかつての外厩の姿は面影を残すのみとなっている。
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