那須にある地方競馬教養センターの今75期の卒業生は18名。入所時のメンバーが欠けることなく、揃って卒業するのは大変珍しいという。
卒業時に行われる教覧レースは、バンブーマツオーに騎乗。1レース6頭立てで3鞍組まれ、伸びていたものの直線が短く届かず、結局後方のまま。教覧レースは、馬の能力によるところが大きく「結果には満足できなかった」と振り返る。 |
★GIレースを見て 父親はサラリーマンで、競馬とは無縁の家庭に育った。「騎手になろうと思ったのは小4の時。中央競馬のG1レースをTVで見たのがきっかけでした。大きなレースを勝つところを見て、かっこいいなあって。背も大きくならなかったので、騎手になりたいと言ったら、家族は驚いて、最初は反対したけど、すぐに応援してくれました」 |
★加納氏との出会い 稲城の米軍施設内にある、多摩ヒルズ・レクリエーションセンターの乗馬クラブの前を、車で偶然通ったのがきっかけで、初めて馬に乗ったのが、中1の時。中2の夏休みに本格的に乗りこんだ。
初めて馬に乗った“多摩ヒルズ”は、川崎の騎手だった加納龍生氏が騎手引退後、代表を務めている乗馬クラブ。前住騎手は、多摩ヒルズで加納氏と出会い、その縁で福島厩舎の所属が決まった。
「加納さんは、騎手デビューをとても喜んでくれました。昨日たまたま厩舎に来たのですが、部屋を見て『汚ねえなあ、掃除しとけ』と言われてしまいました(笑)」
その恩師である加納元騎手は出会いからこうして騎手デビューの日を迎えたことを振り返って、「自分のところに来た頃より一番変わったのは精神面でしょう。ずいぶん逞しくなりました。騎手になるんだと自信がついてきたように思えます。技術はこれから磨かれるものでしょうが、とにかく根性がありますから頑張ってくれることでしょう」とエールを贈る。 |
★今はライバル 教養センターでは、2年間の養成期間の途中、6ヶ月間の厩舎実習がある。実習中は、今野騎手や山野騎手が親切に教えてくれたが、「実はこの間、今野さんに『今はもうライバルなんだよ』と言われてしまいました」騎手は一人一人がライバル。プロとしての厳しさを垣間見たと共に、発憤材料にもなった。 |
★鼻を蹴られる大事故 2000年4月に教養センターに入所した、翌2001年の1月のこと。馬に乗っていたところ、前の馬に鼻を蹴られ、体がふわっと浮いた。「地面に落ちるまで、とても長い時間に感じました。意識がだんだん薄れていき、目が開かなくなった」鼻と頬の骨折だった。蹴られた場所がよかったためか、痛みはあまりなかったが、症状はひどいため、1週間は何もせず、経過を見守った。1回目の手術は、皮膚の固まり具合を見ながら行い、1ヶ月程で退院し、教養センターに戻った。
厩舎実習中である、事故から8ヶ月たった昨年9月に、2回目の手術をするため再入院。軟骨が蹴られた衝撃でなくなっていたため、腰の骨を顔に移植し、1ヶ月で退院した。
3回目の手術は、今年3月の卒業直前。軟骨がまたもなくなっていたため、今度は耳の骨を移植した。1週間で退院し、無事卒業を迎えることができた。「体力が落ちていないか心配だったけど、ハンデは感じていない。みんなから遅れをとっているとは思いません」 |
★ニノサキに乗りたい 自厩舎の馬はほとんど稽古をつけている。他の厩舎からは、その場で臨時で頼まれることが多い。 「自厩舎のニノサキは、ひっかかる気性で乗りづらいところがあるけど、力はある。調子もいいからレースでも乗りたいけど、クラスが上の馬だから無理かなあ」
レースに先駆け、調教試験に騎乗。競馬場での騎乗機会を得た。1400mのコースで2鞍乗ったが「騎乗は100満点じゃなかった。コーナーで少し膨れてしまった。自分では、3角・4角がきつく感じたけど、レース前にカーブの様子がわかって良かった。スタートは経験だと思いますが、実際のレースではスタートで出遅れないようにしたい。野崎さんは、いつも冷静でうまいなと思いながら見ています」 |
★同期には負けない! 「まずは初勝利が目標で、その後は10勝して、減量を1kg減らしたい。同期は南関東所属が多いけど、ライバルが多いのはいいことだと思います。那須で、同期の中で上手いと思う人を挙げるインタビューがあって、その場の流れで自分も答えてしまったけど、同期のヤツがうまいなんて思いたくない。負けを認めたくないです。同期がレースで出遅れているのを見て、喜んでしまった。けっこう悪いヤツかな、俺って(笑)」と負けず嫌いな一面も見せる。 |