未知への挑戦ゴールドマイニング
〜平成14年5月13日 第47回大井記念優勝〜
     
  
TCKトゥインクルレース、開催最終日の第10レース、絶好のスタートを切ったゴールドマイニング(秋山重美厩舎・牡5)は道中やや後方でじっくり待機し、向こう正面から徐々にしかけて上位に進出、4角をまわって直線に向いた後、鞍上の一ノ瀬騎手のムチに応えてぐんぐん伸び馬込みを縫ってどの馬よりも先にゴール板を駆け抜けた。
  8つの勝ち鞍のうち5つがマイル戦、誰もが典型的なマイラーだと疑わなかった同馬が9回目を飾ったレースは「大井記念」。競走距離2,600mの名物長距離レースだったのだ。

馬   名 性齢 負担 騎手 調教師 タイム 着差
重量 体重
1 2 2 ゴールドマイニング 牡 5 55 一瀬 秋 山 499 2:48:2 3
2 5 8 オンユアマーク   牡 4 53 鷹見 福 永 502 2:48:7 2・1/2 2
3 5 7 ドラールアラビアン 牡 7 56 的場文 赤 間 503 2:49:0 1・1/2 4
4 3 3 ナイキダンサー   牡 5 53.5 石崎隆 出川龍 506 2:49:1 1/2 1
5 6 9 キングラシアン   牡 5 51 張田 川島正 488 2:49:7 3 10
6 7 11 ミラーズライト   牡 5 53 早田 柏 木 506 2:49:8 クビ 11
7 4 6 エーピーバースト  牡 6 55 小安 石 田 508 2:50:0 3/4 14
8 3 4 カサイグローリア  牡 6 51 桑島 玉井勝 454 2:50:1 1/2 7
9 6 10 スピーディドゥ   牡 6 56 見澤 高橋三 480 2:50:4 1・1/2 8
10 8 14 オペラハット    牡 6 55 内田博 赤 間 543 2:50:9 2・1/2 9
11 1 1 アブクマドリーム  牡 4 55.5 佐藤隆 出川克 480 2:51:4 2・1/2 5
12 4 5 タイキアーサー   セ 8 53 鈴木啓 荒 居 481 2:51:9 2・1/2 12
13 8 13 マロンハマナス   牝 6 53 森下 倉内 485 2:52:7 4 13
14 7 12 ミヨノショウリ   牡 7 55 吉井 飯野貞 493 2:58:7 大差 6



性齢 牡5
毛色 栗毛
馬主 市原千之
調教師 秋山重美
騎手 一ノ瀬亨
厩務員 塚本忠
生産者 真歌田中牧場

           無事これ名馬?

 朝の運動が終了した頃、秋山重美調教師を訪ねた。師に従って厩舎に向かうと丁度洗い場でゴールドマイニングが厩務員の塚本さんに手入れをしてもらっている最中だった。首を振ったり脚を上げたり落ち着かない様子。普段はウルサイ馬なんですか?」と聞けば「大人しい馬だよ」との返事。??「馬は分かってやってるんだよ。要するにジャレてるだけ。脚上げたって絶対当たらない。ホントに利口な馬だよ。」沢山の馬を手がけて思う事は「オープンクラスの馬は無駄なことをしない」という。それだけレースに集中するという事なのか。塚本厩務員が終始ゴールドマイニングに話し掛ている。「ダメだって!ほらぁ!」可愛くて可愛くて仕方ない様子。
  41戦9勝。4歳時に半年レースに使わなかった以外は一ヶ月に2走ペースで絶えず参戦している同馬。しかも賞金を得られなかったレースたったの3走。無事是名馬」を地で行くタイプ?数字上で抱いた感想をぶつけて見た。
「いや、そんな馬じゃないね。いつも7分程度の出来だったよ。もともと脚に難があったし。正直ここまで(のクラス)になるとは思わなかった。」師の話はゴールドマイニングと出会った頃に遡る。

         昔とった杵柄

  牧場時代のゴールドマイニングは脚に難を抱え大きなカラダをもてあましていたようだ。丁度中国の纏足のような状態だった、と当時を振り返る。カラダを支える四肢が甘い。人間がサイズ違いの下駄を履いて運動するような状態。育てることよりも「カラダを絞る」ことに専念しつつ馬の癖を見出した。
独特の「蹄の生え方」をするという。「脚がよくない」ゴールドマイニングを見に来た誰もがそう言った。合わない靴(英語で蹄鉄のことをホースシュー=馬の靴とはよく言い得ている)を履いていると人間だって具合が悪くなる。馬もまた然り。「脚は確かに悪い」「だったら悪い脚を治せばいい」秋山師はそう考えた。師はこの馬を後にオーナーとなる市原千之氏に紹介した。それは馬の脚を治すことへの自信の表れそのものだった。

話は更に遡る。秋山師はお父上が調教師だった関係で小学校2年までを当時競馬場があった戸塚で過ごし競馬場の移転に伴い静岡に転居、その後両親を亡くした事情から川崎に嫁いだ姉を頼りに川崎でジョッキーを目指した。
昭和30年前後、当時の騎手見習(通称・小僧)は若い衆からも酷使されレースは愚か攻め馬にも恵まれない。小僧の自分に回ってくる馬は故障馬ばかりだったという。
「当時はね、そういう馬を自分なりに治したりしたもんだよ。例えば右の蹄をこの程度削ったら?よし、この前より走ったぞ。じゃあ左をこういう角度でだったらどうだ?という具合に。だからそういう経験が今に生きている。ゴールドマイニングは蹄を治したら大丈夫、とね。」師の蹄鉄へのこだわりは相当なもののようだ。だが周囲の誰もは信じなかった。秋山厩舎のあの馬、もうダメだろう、今度こそダメになるだろう、と厩舎の前を通る度に茶化されたそうだ。しかし堅実な走りは実証済み、今年に入ってからはようやく本格化の兆し。
「だから塚本は鼻高々だよ!なあ塚本!」照れた塚本厩務員がしきりに私たちにゴールドマイニングとの記念撮影を勧めてくれた。

                    馬のままに、逆らわず

 先述したとおりゴールドマイニングは41戦9勝、しかも賞金を稼げなかったレースはたった3つ。いかにも馬主さん孝行、厩舎孝行息子だがそこにも秘密があった。掲示板に載る、しかし勝たない。となれば馬主さんも色々思うところもあるだろう。乗り役を替えろ、距離適正がどうだ云々。だがオーナーは一切を秋山師に任せてくれた。7分の出来だったから昇級して無理をさせたくなかった。馬のままに、逆らわずじっくりと機が熟すその時まで待ったのだ。鞍上の41戦の全てが一ノ瀬亨騎手のとのコンビであることも見逃せない。
 2002年に入りようやく馬の状態が納得のいく仕上がりに近づいてきた。「川崎記念が区切りのレース」と師は振り返る。
1月30日の第51回川崎記念(G1)は2,100m。指定交流戦である同レースの出走馬は現ダートレースの中核をなす蒼々たるメンバー。初距離のゴールドマイニングは1着にコンマ1秒差の4着と大健闘、続く3月6日の金盃(大井・2,000m)では5着、そして前走にあたるダイオライト記念では距離を2,400mまで延長したにもかかわらず川崎記念の勝ち馬・リージェントブラフに先着しての3着に好走した。いずれのレースも後方やや後ろにつけて直線で抜け出す走法。ゴールドマイニングを知り尽くした秋山師と一ノ瀬騎手とが「一瞬しか使えない脚」の使い処について綿密な打ち合わせを重ねた結果である。

          本当の挑戦

 大勝負を目前に「今度のレースは本当の意味での挑戦」と秋山師は語る。レースは一瞬の出来事、その一つが勝負なんじゃない、そこに至るプロセス全てが勝負そのものだ、と。前走の「大井記念」では4角で最内に包まれ一瞬行き場を失ったゴールドマイニング。師は半ば結果を覚悟したと言う。ここから大外に出して追ってはいかにも不利だ。だが一ノ瀬騎手のムチに応えて伸びる先には不思議と馬郡がさばけて前が開いたのだった。行くところ行くところ道が開けた。最内を縫ってゴールドマイニングは2着以下を2馬身以上離しての快勝!「勝つ時っていうのはそんなものだよ」
  果して6月の女神はゴールドマイニングに微笑むのだろうか?今から6月19日の帝王賞が楽しみである。

 マイニング  Mr. Prospector
 Pass
 ナカハマリイフオー  サウスアトランテイツク
 ハタノパレード

 
 一ノ瀬亨騎手にとっても、カネショウゴールドで制した東京ダービーから8年、久々に勝利の美酒に酔いしれた夜だった。

 「すべてにおいて自信はあったよ。状態も良く距離もぴったり。もともとスタートは上手いけど、絶好のスタートだった。最初の位置取りは、馬に任して中団より後ろから。自分のペースでいったから手応えはよく、前の馬に乗りかかりそうなほどだった。4コーナーを回って、どこがあくかなと思って見ていたよ。それほど余裕があった。外から4頭ほど上がっていったから、外はダメだ、内があいたぞって突っ込んだ。先に行った馬が下がってくることも考えて、いつも1頭分は内をあけておくんだ。ゴールに入るまで、勝ったかわからなかった。それにしても、あんなに脚を残してるとは思わなかったね」

                   バネのある背中
「カネショウゴールドはきかなかったけど、ゴールドマイニングは素直で大人しい馬。最初は弱いところがあり、攻め馬が強くできなかったけど、だんだんと力がついて体質も強くなってきた。具体的には、筋肉がついて乗り心地が変わってきた。バネが出てきたね。毎日乗っているから、変化がよくわかるよ。前走のダイオライト記念では、4角で100mぐらいあった前との差を、直線だけで詰めた。それだけの脚を使えるのは、力をつけてきた証拠。帝王賞は、一流どころが出てくるし、まだかわしていない馬がいっぱいいるね(笑)。プレッシャーをかけられるのは好きだよ」

      生身(なまみ)の騎手
 騎手は華やかな一方で、常に危険と隣り合わせ。一ノ瀬騎手の最初のケガは、デビューして5、6年目の攻め馬中に背骨を骨折。その後は鎖骨骨折、恥骨骨折、脳挫傷、頸椎骨折と、まさに骨折りの騎手人生だ。脳挫傷は25歳、川崎のレース中だった。丸2日意識がなく、いびきをかいていたという。カネショウゴールドで東京ダービーを勝った翌1995年には「大井のレース中に指が取れちゃった。落馬して、後続の馬が、自分を避けるために跳んでくれたけど、着地したところに、手があったんだ。しびれがあったので、痛みは感じなかった。ただまさか指がなくなっているとはね。指先が丸くなっていた。意識はしっかりしていたので、すぐ指を拾いに行ったよ」指以外にも、頸椎を圧迫骨折したが、わずか一ヶ月半で復帰。「背骨なんて、蹄があたるとよく折れる。不死身じゃないから、骨折ばかりしてるんだよ。竹見さんは不死身、俺は生身(なまみ)、なんてね(笑)」

                あやしげ?なウイニングラン
 大井記念のゴール後は、余韻をかみしめるようにウイニングラン。スタンド前で高々と手をあげた。「ウイニングランは、勝ったらやるぞ、と記者に言っていたんだ。レースが終わって泥だらけだったから、急いで勝負服を着替えたよ。これはいつものことさ。やっぱりきれいな方がいいでしょ、めったにないことだから(笑)」


「たまんない瞬間だったよね」と塚本忠厩務員も感無量

 ゴールの瞬間は見えないところにいたから、2、3着かなと思っていた。先頭で走っているのは見えたけど、まさか勝っているとは思わなかったよ。たまんないね。こんなうれしいことはないね。毎日よくやったなって声をかけている。最初の頃は手がかかったよ。今も膝から下は目が離せないね。

栃木県芳賀郡二宮町出身。「父親が馬で米を運ぶ仕事をしていたので、農耕馬が家にいた。
田んぼ競馬で、1等のタンスをとってきてから馬に夢中になったね。土地も家も馬が持ってきてくれた」最初は船橋に入り、その後川崎へやってきた。秋山厩舎は20年以上になる。「今までで、一番手を焼いたのは、キヨフジ記念を勝ったセリメーヌだね。飼い葉を食べさせるのが大変だった。ゴールドマイニングは最高の馬。帝王賞はもう天に任すよ(笑)」

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