川崎所属として、7月25日の開催から騎乗する上村尚寛騎手。3月に新潟から移籍してきたが、騎手会の規定(本来は移籍から6ヶ月)により約5ヶ月間の待機期間を経て、ついに新天地でのデビューを飾ろうとしている。
上村尚寛騎手のプロフィール |
□かみむら・たかひろ
□1980(S55)年3月3日生まれの22歳
□魚座
□血液型−A型
□身長・体重−165cm・50kg
体重調整は苦にしない「夏場は調教で2キロぐらいはすぐ落ちます」
□足のサイズ−25センチ
□勝負服−胴黄・袖白・青二本輪
気分一新で勝負服を変更「ナイターでもはえるように、色は調教師と相談しました」
□好きな戦法−先行差し
□デビュー−1997年秋、新潟競馬場
「新潟時代、酒井忍騎手は雲の上の人でした」
□趣味−パチスロ
□好きな食べ物−焼肉・果物
□好きな女性のタイプ−やさしい人
□好きな芸能人−(TVに出ている時の)さとう珠緒
「いやし系が好きです」
□騎乗した競馬場−新潟・三条・水沢・高崎・福島(JRA/ダート)
「芝レースに乗ってみたい!」 |
競馬場の廃止
新潟の廃止が決まり、所属騎手は全国へ散らばっていった。デビュー5年目・21歳だった上村騎手は、騎手を続けることを半ば諦めていた。「競馬がなくなるのはショックでしたね。騎手を辞めて厩務員やろうかと思っていました」
牧場に就職し、JRAの競馬学校の厩務員課程の受験に備えることを考えていたが「まだ若いし、ここで騎手を諦めるのはもったいない」と調教師会・馬主会が力になってくれた。2月14日、川崎への移籍が決まり、川崎の調教師会によって、伊藤利義厩舎所属が決定した。
ただ川崎にはやってきたものの、半年間は待機期間ということでレースに出られない日々が続く。「乗れないのは正直つらかったですよ」 結局、半年を待たずして、今開催から川崎所属ジョッキーとして、レースに騎乗する。
競馬の話はしない
公務員の家庭に生まれ、競馬はTVで見るくらいでしかなかった。中学生の時に見たビワハヤヒデのレースを見て、騎手になることを考えた。家族は最初は反対したが、自分が進みたい道ならと、背中を押してくれた。馬に乗ったのは、地方方競馬教養センターに入所してからが初めてだった。「最初は、高い・怖いという印象でしたね」もともと動物好きということもあり、馬に触れることに抵抗はなかった。新潟で厩務員をしていた両親の友人の縁で、新潟競馬からデビューとなった。
現在は、毎朝2時半に起床、8時半頃までに、15頭程の稽古をつける。他厩舎からも依頼を受けている。川崎競馬場での騎乗は、能力試験で既に経験済みだ。「三条が1周1000mで、馬場は小さかったこともあって、川崎競馬場が特に乗りづらいとは感じないですね」 新潟にいた頃は、ドライブやスキーによく行ったが、こちらでの趣味は、もっぱらパチスロだとか。「川崎の駅前まで、自転車やバスでよく出かけますよ」世安騎手、拜原騎手、内田竹彦騎手とよく遊びに出かけるが「夜は大人しくしていますよ(笑)。まだハデなことはできないからね」ただ遊びに行っても騎手同士、競馬の話はほとんどしないという。「付けいるヒントを与えてしまうじゃないですか」騎手は一人一人がライバルであり、孤高な職業であることを改めて実感した。
騎手であることの幸せ
川崎に来て騎手を続けられる自分を顧みると「運が良かったし幸せだと思う」年齢制限を設けているところがあるなど、移籍の受け入れ条件は厳しい。「騎手を続けたくても、叶わずに牧場に行った人もいます。今はその人達の分までがんばらなきゃという気持ちです。やってやるぞ!」
7月25日第5競走で初騎乗、初勝利の快挙!その後ウイナーズサークルで紹介式が行われました |
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「ゲートの中ではもうドキドキでした。もっと前でレースをしようと思っていましたが、後ろからになってしまい、それでも外に持ち出したら馬が行きたがったので、それなら行き切っちゃった方がいとまくるかたちになりました。4コーナーで先頭に立った時には手応えもまだありましたから、これは勝てると思いました。最高に嬉しかったです。これからも新人のような気持ちで頑張っていきます!」 |
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