トキノコジロー 安らかに・・・
コジローは逝ってしまった。
「いつもとなんら変わりなかった。むしろ手応えは良かったくらいだったのに・・・」と山田信大ジョッキーは唇を噛んだ。
4月12日大井競馬場マイルグランプリ。アジュディミツオーが27年ぶりのレコードタイムを刻んだその同じ舞台でコジローはひっそりと最期の遂げた。
左第3中手骨骨折。さあこれから、さあこれからコジローの鬼脚が炸裂するかと思われた第3コーナー手前で悲劇は起きた。
「GUでもGVでもいい、もう一度中央に挑戦したい」
コジローはまだ夢の途中だった。
それは雪辱を期したい陣営の悲願であった。
鎌倉記念で頭角をあらわし、ひとまくりで決めた羽田盃。爆発的な末脚に魅せられたファンも多いことだろう。しかし、それはまた両刃の剣。実力発揮の場を与えられない展開に泣くことも多かった。
盛岡遠征から中央移籍。そして再び川崎へ。
鮮やかに復活のノロシをあげた霜月特別、多摩川オープン。
「すべてはこれからだった・・」坂下厩務員は言葉を重ねた。
主なき馬房にはファンからたくさんの花束や別れの言葉が手向けられている。
稀代の個性派トキノコジロー、君のことは忘れない・・
<生涯成績 15戦6勝。鎌倉記念・羽田盃優勝>
トキノコジロー
牡 鹿毛父 ホリスキー 父 マルゼンスキー 母 オキノバンダ 母 ミスコンバツト 父 ラツキーソブリン 母 イシノヤヨイ
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