〜 馬事徒然 〜
C

〜冬の引退式〜

 日も少しずつ傾き始め冷たい空気が増す冬の日の夕方、引退式は始まった。私が着いたころにはもうエスプリシーズはゆっくりと周回していた。
 いつもパドックでしていた群青色のメンコをしたシーズは最初はゆったりしてたものの少し経って気合を前に出すようになってきた。

 「競走馬としての感覚はまだ残ってるね。長く休んでたからもう忘れちゃってるか
と思ったけど…」
武井調教師が言った。
 そう、あの川崎記念から1年が経っていた。レース後、脚部不安が発症し休養を余儀
なくされた。夏が来て一度帰厩したものの状態は良くなくまた休養に入った。
 冬になってようやくシーズは帰ってきた。しかし1年近くのブランクは想像以上に大きかった。
 年が明け、もうすぐ今年初の川崎開催が近づいたある日「エスプリシーズ引退。生まれ故郷の青森で種牡馬入りします。」のメールが来た。

 さびしいと思った反面ほっとした。正直ラストランになった昨年暮れのレースは
見ていて本当に怖かった。自分でもなぜかわからないが怖くて仕方なかったのだ。
 競馬場でシーズの姿を見ることはできないけどシーズの仔を競馬場で見ることができるのだ。そう思えば気持ちは前向きになれる、夢は繋がる。
 引退式のシーズは走る気満々のように見え川崎記念の時のゼッケン「7」をつけ森下騎手を乗せキャンターで最後の雄姿を見せた。パドックで撮影会があるため向かう途中川崎記念の肩掛けとレイをするとき「走り足りない!」といわんばかりにじたばたした。大好きなにんじんでなだめてようやく落ち着いたがシーズは少々ご機嫌斜めで撮影会を迎え、帰っていった。

 青森へ発つ日には見送りにいけなかった。あとで聞いた話では「幸せそうな後姿」だったそうだ。

 新馬戦からから最後のレースまで人気はほとんど1番人気、人気を落としたときでも8番人気だった。けどおそらくシーズは走るごとにファンを増やしたと思う。
その声援の追い風に応え地元での交流G1川崎記念優勝を成し遂げた。陣営、ファンみんなの想いを乗せ彼は自身の競走馬人生のすべてを注ぎ込んで夢を
かなえてくれた。
 今、地方競馬の現状は厳しい、でもシーズの仔が走る場所は私たちファンが盛り上げ守っていけたらと思う。夢が繋がってる限り、光はある、希望はあるから。                                      <楓>

2005年2月
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