レコードに名を残す馬たち

第二章 〜カネショウボーイ
<昭和50年7月22日 1500m 1分33秒6>

2002/6月号より
  「カネショウボーイは中団からレースをすることが多かったが、あの時はね、確か4番手を進んでいたんだ。直線で馬群がひとかたまりになって、その間を割ったところがゴールだった。だから、そんなに速い決着になっているとは思いもしなかったし、レコードタイムと聞いたときには正直驚いたよ」
 昭和50年7月22日。今も1500メートルのレコードホルダーとして名を残すカネショウボーイの鞍上にいたのは田村豫志雄騎手(現調教師)だった。 「C1の平場戦だったと思う。4歳(現3歳)で格付けになったばかりだったかな。手に負えない馬だった。とにかく気性が激しい。レースではどうにかまっすぐ走るが、攻め馬ではヘタにハミ掛けたらどこへでも飛んでいっちゃう。昔は調教馬場にラチがなかったもんだから、そりゃあ、たいへんだったんだよ。何度も外に飛び出して。照沼先生は骨折するしね。その日もオレが調教に乗るつもりだったが、その順番を待ちきれずに照沼先生が自分で乗ったんだ。そしたら向こう流しにあった夾竹桃の生け垣と小屋の間につっこんじゃって、先生は足を骨折する大怪我サ」
 レコードホルダーになったカネショウボーイだが、そのあとすぐに九州の方から譲ってほしいという話が来て移籍していった。「向こうでもレコードを出したって聞いたよ。すごい馬だよね」
 昭和53年に調教師に転向するまで騎手をしていてた田村師。クセ馬を乗りこなすのをお得意とし、浦和からも騎乗依頼を集めた。1日に全12レース乗ったこともあるという。昭和12年東京は三田生まれだが育ちは長野。馬とはゆかり深いところで育った。しかし国民学校を出たあと勤めたのが金物屋。「なんでも屋だったから、水道工事だって何だってチョチョイのチョイ。今だってできちゃうよ」と手先が器用な田村師にはうってつけの仕事ではあったが、小柄な身体を生かせればと19歳で当時八王子にあった騎手教習所に入った。小笠原円之助調教師の元、数々の馬に跨るもカネショウボーイはとりわけ忘れられない一頭になっているという。

■6月16日第8Rで佐藤博紀騎手が騎乗したハッピーアデルが1位入線。タイムは1分33秒0。昭和50年7月22日にカネショウボーイが記録した1分33秒6を塗り替え、28年ぶりにレコードタイムが更新されました。

 
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