川崎競馬厩舎訪問 〜小向トレセンにようこそ〜 2016/5 河津裕昭厩舎


◇この記事は川崎競馬馬主協会ニュース 2016年5月号に掲載されたものです◇



「これからも『攻め』の精神を忘れず、地方、中央問わず重賞挑戦する馬を手掛けていきたい」と語る河津裕昭調教師。今夏で50歳になるが、17年間の騎手時代そして調教師となってからの14年を辿ればその言葉の重みがわかる。

祖父・晴一さん、父・政明さんから続く三代目。父の厩舎には専用のポニーがいて小学三年生から跨って走らせていた。 もし現在ならジョッキーベイビーズ出場候補だったのではないだろうか。馬乗りに対する父の指導は子供の頃から厳しく、それは父が敷いた騎手へのレールでもあった。 「騎手になるのは当たり前だと思っていた」という。

騎手時代にはシンガポール、オーストラリア、マカオ、アメリカではハリウッドパーク競馬場で騎乗するチャンスもあった。 忘れられないのは第10回ジャパンカップで英国馬イブンベイへの抜擢。
「相馬恵胤さんの持ち馬で、ブリーダーズカップで2着までに来たらジャパンカップを使うからと聞いていたが本当に2着に入線して騎乗が決まった。 オグリキャップも出走していたからスタンドは地響きがして圧倒されたよ。イブンベイは調教で衝突して蹄を痛めた影響も残っていたんだろうが、 内から離れるなという指示だったのに内がまったく開かず自己判断で外に出すかたちになって8着。憧れのスティーブ・コーセンと同じレースに騎乗できたことは大きな刺激だった」と懐かしむ。
第2回ヤングジョッキーワールドチャンピオンシップ(1993年)には東の代表として参戦し、若き日のデットーリ騎手や武豊騎手、横山典騎手等と覇を競った。

オーナーたちの勧めもあって35歳で調教師へ転向。初陣はいきなり東京プリンセス賞への重賞出走という華やかなスタートを切った。調教師となっても『攻めの精神』で積極的にチャンスを求め、 「馬の能力を発揮させるためにはまず、コズませない、スクませないこと。そのためにはどう飼料を与えるかが大切」と飼料の研究には今でも余念がない。

初重賞勝ちとなったのはコスモヴァシュランでのせきれい賞。盛岡の芝でコスモバルクを7馬身をちぎっての優勝だった。 コスモワイルドでセントライト記念、インパーフェクトで弥生賞、イグゼキュティヴでラジオNIKKEI杯など次々に中央へも挑戦し、ついにはプレイアンドリアルで2014年の京成杯制覇。
「身のこなしは良いし、バネがあって心肺機能も高い馬。朝日杯の時は最終調整の段階で悔やまれる部分があったが、京成杯はやりきったと自信をもって送り出した」とふり返るが、河津師の挑戦には父の代から親交のある岡田繁幸氏の後押しも大きい。
「岡田さんは中央、地方問わず競馬界の未来を考えている世界的ホースマンのひとり。多くのチャンスをもらってきた。再びプレイアンドリアルの時のような夢が見られたらと思っている。今年の2歳にも能力高い馬がいるからぜひ中央に挑戦したい」と目を輝かせている。

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